おじさんがもう一度観たい!復活して欲しい懐かしいテレビ番組
おじさんがもう一度観たい!復活して欲しいと思う懐かしいテレビ番組を紹介します。
中にはかなり際どい内容のものもあるので、今の地上波では、難しいかもですが・・・・・。
おじさん世代には、たまらないテレビ番組もあると思います。
1位 トゥナイト2
おじさんの深夜番組といえば、やっぱり「トゥナイト2」です。
面白くて毎回観ていました。
1も知っていますが、おじさん的には2の方がなじみ深いです。
お色気要素あり、ゲーム要素ありで、思春期真っただ中の当時のおじさんは夢中になっていました。
内容的に多分今の地上波では難しいでしょうね。
もし、今放送されたら絶対に観ると思います。
北野誠さん、山本晋也さんのリポーター陣が面白くて好きでした。
2位 スーパーJOCKEY(スーパージョッキー)
昔、ビートたけしが司会をやっていたお笑いバラエティ番組です。
おじさんが目を釘付けにして観ていたのが、スーパージョッキーの目玉コーナー「熱湯コマーシャル」です。
これでダチョウ俱楽部が好きになりました。
ゲストが熱湯風呂に入って、入った時間だけ宣伝ができるという企画。
水着の着替えシーンは今思い出しても最高です。
事前収録されたものなのか、生放送なのか、子供の頃は分からなかったですが、それが逆に好奇心を煽っていました。
おじさんは生だと思ってましたけど。
かなりやばめのシーンもあって、毎回ドキドキわくわく。
有名なアイドルも数多く出演しているのがまたいいですね。
こんなのをお昼にやっていたのがまた時代を感じます。
3位 ゲーム王(ゲームキング)
ミスターちんや南かおりなどが出演していたゲーム番組です。
不定期放送だったので、知らない人も多いかもしれませんが、ゲーム番組としてかなり面白かったです。
実際にプレイしてくれたりするので、どんなゲームなのかリアルに伝わってきました。
当時はゲーム全盛期だったため、ゲーム好きの子供たちには神番組でしたね。
4位 ウンナンの気分は上々。
ウッチャンナンチャンの懐かしいバラエティ番組です。
今思うと当時としては、珍しい手法をとったバラエティ番組でした。
友情を深めるための旅、家庭用ビデオカメラで遠巻きに撮影、ナレーションなしの縦書きテロップ、画面下に出演者のセリフがテロップ表示などなど。
だから新鮮さがあって、楽しく観れたんでしょうね。
お笑いコンビの改名は本当に懐かしいです。
バカルディから「さまぁ~ず」、海砂利水魚から「くりぃむしちゅー」。
この改名後から大ブレイクしました。
内容的に問題ないので、もう一回やってほしい番組です。
5位 ランク王国
2018年3月25日まで放送していたランク王国も復活して欲しいです。
漫画やアニメ、ゲームなどの最新の情報を入手できていたので、欠かさず子供の頃から観ていました。
たまにちょっとエッチなのもあったりして。
土曜日の深夜といえば、「チューボーですよ!」「CDTV」、そして「ランク王国」が定番でした。
マスコットキャラクターのラルフと女性タレントのくだらない掛け合いが好きでしたね。
いつか復活して欲しい番組のひとつです。
懐かしいテレビ番組ばかりで、書いていてどこか寂しい気持ちになりました。
あの頃はテレビを観ていましたが、今はほとんど観ていません。
今のテレビはあまり面白くなくて。
自分で観たいものを選べる時代になったというのもあると思いますが・・・・・。
トゥナイト2やスーパージョッキーは難しくても、あとの3つは復活して欲しいです。
月寒あんぱんがゴールデンカムイとコラボ!?買ってみた!
みなさんは月寒あんぱんをご存知でしょうか?
月寒あんぱんとは、札幌市民なら知ってる有名なお菓子です。自分もたまに買って食べています。
北海道が舞台の漫画・アニメ「ゴールデンカムイ」でも登場しました。
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あんぱんですがお菓子なんですよね。
作っている会社の株式会社ほんまは、明治39年創業なので100年以上の歴史を誇っています。
そんな月寒あんぱんがゴールデンカムイとコラボしていたのを今日ファミマに行って知りました。
なんだこれは!と思ってすぐにゲット。
お値段は900円(税抜きだったはず)
こんな感じのパッケージです。
こんなの見たらゴールデンカムイファンなら買っちゃいますよね!
で、中身です。
6個入りで6種類の味が楽しめます。
一袋ごとにキャラクターが描かれています!
杉本佐一:南瓜あん
白石由竹:黒糖あん
尾形百之助:黒胡麻あん
月島軍曹:抹茶あん
鯉登少尉:復刻版
になっています。
どれから食べようか迷った挙句、なんとなく白石の黒糖あんから。
中身はこんな感じのお菓子です。
割ったらあんこがギッシリ。
甘くて美味しい!
自分にとってはお馴染みの味ですが。
北海道?札幌?限定なのか、全国のファミマでも売っているのか分かりませんが、ゴールデンカムイファンなら買っても損なしです!
ごちそうさまでした。
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ゴールデンカムイを知らない人は、ぜひ漫画を読んでみてください。
めちゃくちゃ面白いです!
おじさんは、白石が好き。
笑えるし、北海道の歴史やアイヌについて学ぶこともできます。
無料で試し読みできます。
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おじさんが好きだった獣神ライガーの思い出
おじさんが小学生になる前?なった後?そのくらいにハマっていたアニメがあります。
それが「獣神ライガー」です。
ロボットバトルものに入ると思います。
おじさんは昭和57年なので、多分50年代世代は知っているのではないでしょうか。
このアニメが好きで好きでたまらなかったです。
おもちゃをお年玉で買ったり、欲しいものを聞かれたら必ず獣神ライガーに関するものでした。
ライガーソード好きでした。
もしかするとロボットアニメで初めて興味を持ったのは、獣神ライガーだったかもしれません。
獣神ライガーは、正確には生体ベースのバイオアーマーを使用。
小さい頃の記憶にあまりガンダムがないので。(SDガンダムは好きだったけど)
あってもマクロス7なんだよな。
最近、獣神ライガーを思い出し、調べたのですが原作って永井豪先生だったんですね。
全く知りませんでした。
キューティーハニー、デビルマン、マジンガーZとか有名作品がいくつもある漫画家です。
しかも、アニメーションの制作会社はサンライズ。
当たり前ですが当時は原作とか制作会社とか気にせずに観ていましたからね。
純粋に面白いかどうか、格好いいかどうかで観てました。
オープニング「怒りの獣神」は今でも覚えています。
入りがちょっとものものしいが不気味でいい。
奇跡の獣神も覚えています。
獣神ライガーが格好良くて大好きでしたが、気づいたらなにやらもう一人獣神ライガーがいたのです。
それがプロレスラーの獣神サンダー・ライガー(山田恵一)。
子供だったため、頭が混乱しました。
アニメなのにどうして?どうして人と戦っているのか?どっちが本物なの?
こんな矛盾を抱えつつ、おじさんはいつの間にかプロレスファンになっていたのです。
もちろん、推しは獣神サンダー・ライガー。
アニメにシンクロして、獣神ライガーからファイヤーライガー、獣神サンダー・ライガーに変化するあたりは、子供ながらに嬉しかったです。
これを機に祖父と一緒にテレビでプロレスを観るようになりました。
だから獣神サンダー・ライガーには感謝です。
懐かしく大切な思い出になっています。
引退した時はとても悲しかったですし、寂しかったです。
子供の頃の思い出が消えてしまう感じがして。
なんて思っていたら今は、ユーチューバーとして活躍しています。
昔から色々なメディアに出ていましたから、あまり驚きもせず。
ウッチャンナンチャンの番組に出たり、ファミ通で人生相談してたり。
獣神サンダー・ライガー、もとい山田恵一さんは芸達者な人です。
ちなみにおじさんはすでに獣神サンダー・ライガーチャンネルに登録しています。
おじさんが好きだった機動刑事ジバンの思い出
おじさんは子供の頃、日曜日が大好きでした。
なぜなら特撮ヒーローもの(メタルヒーローシリーズ)が放送されるからです。
でも、悲しいことに今覚えてるのは「機動刑事ジバン」だけ。
機動刑事ジバンの詳細
・1989年1月29日~1990年1月28日、日曜9:30~10:00(9話まで)、8:00~8:30(10話以降)、全52話
・メタルヒーローシリーズ8作目、平成最初の作品
・普段はただの刑事、事件が起こるとサイボーグの機動刑事ジバンになり、犯罪組織バイオロンと戦う
今思うと全体的にロボコップに似てるなと思います。
ロボコップがこの頃流行ってたんだっけ?
他の作品もたくさん観ていたはずなのですが、もうほぼほぼ記憶にありません。
あとはギリでウインスペクターかな。
それでも機動刑事ジバンだけは、なぜかオープニングもハッキリと覚えています。
当時かなり好きだったのでしょうね。
このオープニングはおじさんになった今でもたまに聴いています。
元気が出ない時、勇気が欲しい時にピッタリ。
そして、今もなお記憶に深く残ってるのが、ジバンがやられるシーンです。
トラウマレベルに完璧にやられます。
腕は切り落とされ、目は見えない。
おそらく、当時の子供たちは朝から泣いたと思います。
おじさんはショックのあまり号泣しました。
それから1週間後、ジバンはパーフェクトジバンとして復活。
最高の流れです。
心にこみ上げてくるものがありました。
今観てもしびれます。
何度観ても復活シーンは最高ですね。
また、1話から観たくなってきました。
唯一、しっかりと覚えてる特撮もの、メタルヒーローシリーズだけあって、インパクト十分な作品です。
おじさんが絶叫・興奮した記憶に残るサッカー日本代表ベストゴール
おじさんがサッカー日本代表の試合を観るようになってかれこれ30年ほど経ちます。
どの試合でもゴールが決まれば嬉しいですが、その中でもおじさんが絶叫した、興奮した、記憶にハッキリと残っている大好きなゴールを紹介したいと思います。
歴代の上手いゴール、綺麗なゴール、素晴らしいゴールというよりも、当時おじさんがリアルタイムで観ていて思わず我を失うほど歓喜・感動したゴールになります。
そのため、いつどの試合でどのような時に決めたのか、そのシチュエーションが選考に大きな影響を与えました。
どうしてもベタなゴールが多くなってしまいますが、当時のことを思い出しながら観ていただけると嬉しいです。
1位 ジョホールバルの歓喜 1997年11月16日 対イラン代表 得点者:岡野雅之
数ある日本代表のゴールの中で最も絶叫したのは、やはりワールドカップ初出場を決めた岡野雅之選手のゴールです。
ベタ中のベタですみません。
おそらくここまで絶叫したゴールは、後にも先にもないと思います。
日本サッカーの歴史が変わった日、歴史を変えたゴールです。
先制し、追いつかれ、逆転され、同点に追いつく。そして、延長戦に突入。
次にゴールを決めた方がワールドカップ出場というとんでもなく痺れるシチュエーションです。
何度も決めれそうなシーンがありましたが岡野選手はとにかく外します。
負けてもおかしくない展開でしたが、最後の最後に決めてくれました。
決まった時、真夜中だったけどもの凄い声で叫んだのを覚えています。
親にこっぴどく叱られましたが、それでも興奮がおさまらず、涙を流して絶叫していました。
前回のドーハの悲劇のこともあって、余計に嬉しかったです。
これを超えるゴールは現れないかもしれません。
2位 2004年7月20日 アジアカップ 対オマーン代表 得点者:中村俊輔
日本代表の個人で決めたゴールの中で一番好きなのが、この中村俊輔選手の芸術的、創造性あふれるゴールです。
スコアレスで迎えた前半34分、こぼれ球を拾って、ダブルタッチでDFをかわし、左足アウトサイドでファーサイド隅にゴール。
もう最高の一言。
日本代表史上最高のゴールだと今でも思っています。
最後まで左足にこだわった、そのセンスに脱帽。
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3位 1997年9月28日 アジア最終予選 対韓国代表 得点者:山口素弘
アジア最終予選の韓国戦で生まれた山口素弘選手の芸術的ループは、日本代表のベストゴールに入れる人が多いと思います。
相手が韓国というのがまたいいですね。
それまでここまでテクニックのある選手だと思っていなかったので、本当に驚きました。
しかもボールの奪い方が上手く、奪ってから前を向くのが早いです。
その点もおじさんがこのゴールを3位にした理由。
4位 2002年6月4日 日韓ワールドカップ 対ベルギー代表 得点者:鈴木隆行
足を伸ばして、つま先でゴール。
何が何でも決めてやるという気持ちがこもったゴールにめちゃくちゃ感動しました。
しかも、鈴木隆行選手に出した小野伸二選手のパスが非常に上手く優しい。
絶妙の場所にパスを出せる確かなテクニックと創造性、そして気持ちを前面に出したシュート、この2つが合わさった素晴らしいゴールです。
5位 1998年6月26日 フランスワールドカップ 対ジャマイカ代表 得点者:中山雅史
日本が初めてワールドカップでゴールを決めた瞬間です。
アルゼンチン、クロアチアに敗れグループステージ敗退は決定はしていましたが、日本代表は最後まで初勝利に向けて全力で戦いました。
結果は負けてしまいましたが、それでもこのゴールで歴史は変わりました。
呂比須選出からの折り返し(シュートミス?)に中山雅史選手がボレーで合わせた、日本のワールドカップ初得点です。
ゴールを決めた後、すぐに呂比須選手がボールを拾いに行く姿にも感動。
6位 2010年6月24日 南アフリカワールドカップ 対デンマーク代表 得点者:本田圭佑
南アフリカワールドカップのグループステージ第3戦、デンマーク戦で生まれた本田圭佑選手のゴールです。
これは鳥肌が立ちました。
決勝トーナメント進出がかかる大一番で決められるその度胸、メンタルがすごすぎます。
無回転の不規則に曲がって落ちるボール、これはGKは取れない。
名実ともに本田圭佑選手が日本のエースになった瞬間です。
7位 2011年1月29日 アジアカップ 対オーストラリア代表 得点者:李忠成
このゴールが好きな人は多いと思います。
アジアカップ決勝、オーストラリア代表戦で決勝ゴールを決めたのは李忠成選手です。
長友選手から正確なクロスが入り、李忠成選手が綺麗にボレーで合わせました。
力みのないシュートがいつ見ても美しいです。
これが決勝点となり、日本は通算4度目の優勝を手にしました。
李忠成選手は泥臭いゴールのイメージが強かったので、余計にインパクトが強かったです。
8位 2000年6月5日 ハッサン2世国王杯 対フランス代表 得点者:西澤明訓
王者フランス相手に西澤明訓選手が素晴らしいボレーでゴールを決めました。
この頃のフランスはとんでもなく強かったです。
いいメンバーがそろっていましたね。
そんな中、ボレー職人の西澤明訓選手が見事に決めてくれたので絶叫しました。
しかも格好いい最高のボレー。
あまりにも好きすぎて、これを何度も練習した記憶があります。
9位 2013年11月16日 親善試合 対オランダ代表 得点者:本田圭佑
圧倒的個人技で取るゴールもいいですが、綺麗なパスワーク、コンビネーションで取るゴールもいいですよね。
中でも一番好きなのがこれです。
内田選手からの細かいパス交換、大迫選手がヒールで落とし、本田選手が左足ダイレクトでゴール。
こんなに鮮やかなパスワークからのゴールは見たことがありませんでした。
強豪国相手に日本もこんなことができるんだと驚いた瞬間です。
あれからここまで綺麗なパスワークは見た記憶がないかも。
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10位 2018年7月2日 ロシアワールドカップ 対ベルギー代表 得点者:原口元気、乾貴士
記憶に新しいロシアワールドカップ決勝トーナメント1回戦、原口元気選手と乾貴士選手が決めてくれました。
この2つのゴールに歓喜し、初のベスト8進出を夢みました。
2-0になってもしかするともしかするかも!と思わせてくれましたが、最終的にはそこから逆転され敗退。
ベルギー相手によくやったと思いますが、悔しいものは悔しいです。
ただ、一瞬でも夢をみさせてくれたこの2つのゴールはずっと記憶に残ると思います。
どれも素晴らしいゴールですし。
おじさんが絶叫・興奮した記憶に残るサッカー日本代表ベストゴールでした。
これから先、今回選んだものを超えるゴールが現れることを楽しみにしています。
こうやって懐かしんでいるうちに次のワールドカップがやってくるんですよね。
おじさんが好きだった選手で選ぶJリーグベストイレブン
おじさんがサッカーに興味を持ち始めたのは、1993年のJリーグが開幕した頃です。
これがきっかけでサッカーを観るようになりました。
当時、今みたいにクラブ数は多くなく、鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原、浦和レッドダイヤモンズ、ヴェルディ川崎、横浜マリノス、横浜フリューゲルス、清水エスパルス、名古屋グランパスエイト、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島の10クラブしかありませんでした。
当時の盛り上がりはすごかったです。
もう毎試合テレビ中継をしていましたし、ピークは過ぎていましたが海外の有名選手もたくさんいて本当に楽しかった思い出があります。
そんなJリーグで、おじさんが好きだった選手でベストイレブンを考えてみました。
ただ漠然と選ぼうとすると大変なので、以下のような条件をつけることに。
・引退、もしくはしばらく日本代表から外れている選手
・日本人選手
・能力関係なく、あくまでも好きだった選手
この3つを条件に選出しました。
フォーメーションは4-4-2か3-5-2で迷いましたが、中盤に好きな選手が多かったので、3-5-2。ボランチは2枚で。
GK(ゴールキーパー)
川口や楢崎と迷いましたが、おじさんの中で一番記憶に残っているのは松永成立選手です。
日本代表のGKといえば、この選手が真っ先に浮かびます。
ドーハの悲劇の際の正GKだったので、名前を聞いたことがある人も多いと思います。
シュートへの反応速度が良かったですし、守備範囲も広かったです。
そして、当時では珍しく、GKなのにけっこう足元の技術もあり、ペナルティエリアを飛び出すこともありましたね。
DF(ディフェンダー)
身体能力が高く、スピードとパワーを兼ね備えていて、足元の技術もある。
さらに頭もキレるし、状況判断も良かったです。
センスの塊みたいな印象を受けました。
そして、なにより度胸があって熱く、負けず嫌い。
日本でも歴代屈指のディフェンダーだと思います。
アジアの壁こと井原正巳選手も好きでした。
とにかく冷静な印象が強く、慌てないクールなプレーが記憶に残っています。
体も強くボールを奪うのがとても上手かったです。
イエローカードやレッドカードもあまりもらっていなかったと思います。
当時、韓国代表のDFホンミョンボと比較されることが多かったです。
おじさんの中で中澤選手は、ヴェルディ川崎のイメージが強いです。
横浜F・マリノスの方が圧倒的に長いので不思議。
空中戦に非常に強く、ヘディングが高く上手かったです。
そのため、ディフェンス時だけではなく、セットプレーからゴールを決めて活躍することも多かったです。
かけひきも上手くて、頭がいい選手だなと思っていました。
歴代日本代表のベスト11に入れてもいいくらいの選手ではないでしょうか。
MF(ミッドフィルダー)
ヴェルディ川崎といえば、三浦知良かラモス瑠偉かというほどヴェルディ川崎の顔でした。
強烈な個性と、ものすごい負けず嫌いで、試合中はとてつもないくらい熱く、怒鳴っているイメージが強かったです。
Jリーグが始まった当初、おそらく一番テクニックがあったのはラモス瑠偉だったのではないでしょうか。
簡単に相手をかわし、ピンポイントでパスを出し、ゴールにパスをするかのように得点を決めていました。
当時、CMにも出ていて人気者でした。
39歳になった今でも現役バリバリで、年が近いおじさんも見習わないといけません。
阿部勇樹選手はユーティリティープレイヤーで、守備的なポジションならどこでもできます。
こんな選手、チームに1人は絶対に欲しいですよね。
高い守備能力に加えて、高精度のフリーキックも武器です。
ウイニングイレブンでも必ず阿部選手は入れていました。
中盤の左サイドには、三浦淳宏選手を置きます。
この方もどのポジションでもこなせるユーティリティープレイヤーで、左右のアウトサイド、トップ下、ボランチ、時にはフォワードもやっていました。
両足が使えて、キック制度が高く、サイドから正確なクロスをばんばん上げていました。
そして、三浦淳宏選手といえばフリーキックを忘れてはいけません。
無回転フリーキック(ブレ球)は、見事の一言。
本田圭佑選手よりも上手かったです。
右サイドは、石川直宏選手です。
あまり日本代表には選ばれていませんが、Jリーグで長きにわたって活躍しました。
爆発的なスピードで右サイドを駆け上がり、相手を抜き去ります。
時折見せる中に切り込んでのシュートがたまらなく格好良かったです。
怪我が多かったのが非常に悔やまれるサッカー選手のひとりです。
真ん中の司令塔は、中村俊輔選手です。
もう42歳というのに驚きです。
中村俊輔選手は、デビュー当初から見ていてわくわくするプレーをたくさんしてくれています。
初めて見た時、「なんだこの上手い選手は?」と驚きました。
スピードではなく技で抜くドリブル、創造性のあるパス、見ていて気持ちのいいロングシュート、そして美しいフリーキック。なにをとっても一級品です。
まさしく日本が世界に誇るファンタジスタ。
セットプレーは俊輔に任しておけば大丈夫、劣勢の状況でも俊輔ならなにかやってくれると思わせる選手です。
FW
ありきたりなので他のFWを選ぼうとも思いましたが、やっぱりカズは外せません。
カズのおかげでサッカーに興味を持ったといっても過言ではないです。
Jリーグもカズがいなかったら失敗していたかもなんて考えることもあります。
54歳でいまだにプロサッカー選手として頑張っているのがすごすぎます。
ディフェンスを置き去りにするキレのあるドリブル、またぎフェイント(シザーズ)が特徴です。
何かがずば抜けているというよりもどの基本プレーがしっかりとできていて、安定して高いパフォーマンスを発揮できる選手だと思っています。
そして、やはり熱くて強い精神力。
ここぞって時に決めてくれるのがカズ。
もう1人のフォワードは、コンサドーレ札幌にいた吉原宏太選手です。
コンサドーレサポーターとして、やはり吉原宏太選手は外すことができませんでした。
コンサドーレ時代は大好きでした。
とにかく格好良かったです。いまだにいい男。
トルシエ時代には日本代表にも選出されています。
JFLからJリーグ昇格・降格、オリンピックを目指すU22選出、そこで大活躍して、日本代表入り。まるでシンデレラボーイ。
DFラインとのかけひきが上手く、相手の裏を取ってゴールを決めるシーンが多かったですね。
コンサドーレでいまだに一番好きな選手です。
おじさんが好きだった選手で選ぶJリーグベストイレブンでした。
能力に関係なく好きな選手で選びましたが、けっこういいメンバー揃ってる気がします。
これで試合をしたらかなり強そうな気が。
もちろん全員、全盛期で。
今回、考えていてすごく楽しかったので、歴代最強日本代表ベストイレブンや歴代コンサドーレ札幌ベストイレブン、歴代Jリーグ外国人ベストイレブンなどもやってみようかなと思っています。
おじさんが好きだったプロ野球選手(ヤクルトスワローズ編)
今回は、おじさんが子供の頃、好きだったプロ野球選手のヤクルトスワローズ編です。
おじさんが子供の頃の野村ヤクルトは本当に強かったですね。
ヤクルト、巨人、中日の3球団が優勝争いの常連だった印象です。
そんなヤクルトスワローズで好きだったプロ野球選手を5人紹介します。
1位 伊藤智仁投手(1993年~2003年)
1位はダントツで伊藤智仁投です。
もうこの人が出てきたら、負けだと思ってました。
敵ながらあっぱれです。
150キロを超えるストレートに加え、えぐい高速スライダー、縦に落ちるスライダー、カーブ、フォーク、カットボールを操り、全盛期は無双状態でした。
あんなスライダーを投げれるピッチャーは数少ないと思います。
多分、ダルビッシュくらいかな。
活躍した時間は短いですが、歴代最高ピッチャーの一人だと思っています。
2位 飯田哲也選手(1987~2004年)
2位は飯田哲也選手です。
走攻守の揃った理想的な外野手でした。
おじさんが好きだったのは、飯田選手の守備です。
足が速いので守備範囲が広く、肩が強いので簡単にはホームに突っ込めない、本当に嫌な選手。
ゴールデングラブ賞の常連でしたね。
意外にも盗塁王は一回と少ないのが驚きです。
3位 土橋勝征選手(1987年~2006年)
3位は土橋勝征選手です。
目立った特徴はなかったのですが、上手く右に打ったり、追い込まれてもファウルで粘るなど非常に嫌なバッターでした。
2番バッターの典型的な選手という印象です。
全盛期の元巨人の上原投手も土橋選手が苦手だと言っていました。
野球ゲームでも2番に土橋選手を置くか、川相選手を置くかで迷う時期がありました。
4位 高津臣吾投手(1991年~2003年)
BBM 2020 030 高津臣吾 ヤクルトスワローズ (レギュラーカード/OB選手) 30th Anniversary |
4位は、現スワローズの監督でもある高津臣吾投手です。
高津臣吾投手は、ヤクルトスワローズをはじめ、メジャーでも活躍した抑えのスペシャリストです。
当時、セリーグの抑えといえば、ヤクルトの高津、大洋・横浜の佐々木でしたね。
ストレートは速くなかったですが、変化球のシンカーがすごかったです。
キレキレの頃のシンカーは誰も打てなかったです。
そして、人柄がとても好きです。
現役時代から明るく面白くてテレビに出ると知ったら絶対に観ていました。
5位 小早川毅彦選手(1997年~1999年)
5位は、小早川毅彦選手です。
1996年に広島から自由契約でヤクルトに移籍し、97年の開幕戦で5番スタメンで出場。
そして、巨人の開幕投手・斎藤雅樹から3打席連続本塁打を打ちます。
リアルタイムで観ていたので、悔しくて悔しくていまだに当時のことを覚えています。
このホームランで小早川選手を知り、敵ながら好きになりました。
おじさんの好きだったヤクルトスワローズ選手ベスト5でした。
中でもやはり伊藤智仁投手の印象が一番残っています。
何度も言いますが、あのスライダーはやばかったです。